はじめに
ローンの繰上返済に対して、多くの人は好意的なイメージを持っています
「早く返せば利息が減る」「借金は少ない方が安心」という感覚は、ごく自然なものです
実際、金融リテラシーの話題でも、繰上返済は賢い行動として語られることが少なくありません
一方で、住宅ローンや不動産投資ローンにおいて、繰上返済を行った後に
資金繰りで苦しくなるケースが一定数存在します
ローン残高は減ったにもかかわらず、手元資金が不足し
急な支出や次の一手に対応できなくなる──これは決して珍しい話ではありません
ここで問題になるのは、金利の高低そのものではありません
本質的な論点は、「流動性リスク」、つまり「必要なときに使える現金があるかどうか」です

本記事では、なぜ繰上返済が一概に安全とは言えないのか、繰上返済の数字の考え方を整理し、感情ではなく判断基準で考えるための視点について解説します
第1章:なぜ「繰上返済は正解」と思われがちなのか
繰上返済がこれほどまでに「正しい行動」と認識されているのには
いくつかの理由があります
まずは、その構造を分解してみましょう
金利は悪、借金は悪という感覚が強い理由
多くの人にとって、金利は「払わなくて済むなら払いたくないコスト」です
借金そのものに対しても、心理的な負担や不安を感じやすく
残高が減ること自体が安心材料になります
このため
- 借金を早く減らす
- 利息を少しでも減らす
という行動は、直感的に「良い判断」に見えやすいのです
利息削減効果が「見える数字」で示されやすい
繰上返済が勧められやすいもう一つの理由が
効果が数字で分かりやすい点です
- 繰上返済○円で
- 利息が△万円減ります
- 返済期間が□年短縮されます
こうしたシミュレーションは非常に分かりやすく、判断を後押しします
一方で、「その結果、手元現金がいくら減るのか」という視点は、同じ熱量で語られません
金融機関・ファイナンシャルプランナーが勧めがちな背景
金融機関やファイナンシャルプランナーが繰上返済を勧める場面も多くあります
これは必ずしも悪意ではなく、「金利負担を減らす」という一点においては合理的だからです
ただし、ここで扱われるのは多くの場合
家計全体の流動性や、将来の投資・融資余地まで含めた視点ではありません
しかし語られにくい「現金が減ること自体のリスク」
繰上返済は、ローン残高を減らす代わりに、現金を固定化する行為です
一度返済に回した資金は、原則として簡単には戻ってきません
それにもかかわらず
- 現金が減るリスク
- 使える資金が減る不自由さ
は、利息削減ほど分かりやすく説明されないのが実情です
この「語られない部分」こそが、繰上返済を判断する上で最も重要なポイントになります
第2章:繰上返済で本当に減るのは何か
繰上返済を正しく判断するには
「何が減り、何を失うのか」を数字で並べて考える必要があります
繰上返済で減るもの
まず、繰上返済によって確実に減るものは次の2つです
- 支払利息
元本が減ることで、将来支払う利息総額は小さくなります - 返済期間
期間短縮型を選べば、ローンの完済時期が早まります
これらは、繰上返済の「分かりやすいメリット」です
繰上返済で失うもの
一方で、同時に失っているものもあります
- 手元現金
繰上返済に回した資金は、流動性を失います - 将来の選択肢
投資、追加融資、突発的な支出への対応力が低下します
重要なのは、これらが同時に起きているという点です
簡単な数値例で見る利息削減額
例えば、次のような条件を考えます
- ローン残高:3,000万円
- 金利:1.5%
- 残期間:30年
- 繰上返済額:300万円
この場合、繰上返済による利息削減額は、概算で約80〜90万円前後になります
(条件・返済方式により前後します)
このような試算は、住宅金融支援機構や各銀行が提供している
ローン返済シミュレーターで簡単に確認できます
「利息削減額」と「現金を固定化するリスク」を並べて考える
ここで重要なのは
80〜90万円の利息削減と引き換えに、300万円の現金を固定化しているという事です
この300万円が
- 生活防衛資金なのか
- 投資や修繕に使える余力なのか
- 余剰資金なのか
によって、判断は大きく変わります
繰上返済は、「利息が減るかどうか」だけで判断するものではありません
現金を失うことによるリスクと、利息削減効果を天秤にかけることが、冷静な判断につながります
第3章:見落とされがちな「流動性リスク」とは何か
繰上返済を検討する際、多くの人が金利や返済総額に目を向けますが
もう一つ、必ず押さえておくべき視点がありますそれが流動性リスクです
流動性リスクとは、端的に言えば
「必要なときに、すぐ使える現金が手元にない状態」を指します
資産があるかどうかではなく、今、使えるかどうかが問題になります
繰上返済は、現金をローン残高という固定された資産に変える行為です
一度返済に回したお金は、簡単には取り戻せませんここに、見落とされがちなリスクが潜んでいます
では、なぜ繰上返済を行うと流動性が下がるのでしょうか
理由はシンプルです
- 現金はいつでも使えるが、返済した元本は使えない
- 借入残高は減るが、預金残高も同時に減る
- 「安心感」と引き換えに、選択肢を減らしている
この状態が問題になるのは、次のような場面です
- 収入の減少
転職、病気、業績悪化など、収入が想定より下振れしたとき
生活費や返済原資を補うのは現金しかありません
ローン残高が少なくても、現金がなければ対応できません - 突発的な支出
住宅や不動産では、修繕費・設備交換・税金など、想定外の支出が定期的に発生します
現金がなければ、再度借りるしかなくなります - 投資チャンスの到来
割安な物件、条件の良い借換え、事業投資など、チャンスは突然訪れます
手元資金がなければ、「知っているのに動けない」状態になります
このように考えると、「ローン残高が少ない=安全」とは一概に言えないことが分かります
本当の安全性は、借金の少なさではなく、現金で耐えられる期間と柔軟性にあります
第4章:流動性が低いと、融資で何が起きるのか
流動性リスクが表面化する場面は、日常生活だけではありません
特に大きな影響を受けるのが、金融機関との関係です
多くの人が誤解していますが、銀行はローンを完済している人よりも
「現金余力があり、返済に余裕のある人」を高く評価します
そのため、繰上返済後には、次のような現象が起きやすくなります
- 追加融資の審査が通りにくくなる
- 借換え時の条件が悪化する
- 金利交渉の余地がなくなる
これは銀行が冷たいからではありません評価軸が違うだけです
銀行が見る主なポイントは、以下のような要素です
- 信用情報:返済実績や延滞の有無
- 返済比率:収入に対する返済負担
- 預金残高:万一の際に耐えられる体力
ここで重要なのは、預金残高も評価の一部だという点です
繰上返済によって返済比率が改善しても、預金が減っていれば
総合評価が上がらない、あるいは下がることすらあります
結果として起こるのが、「金利は下がったが、次の一手が打てなくなった」
という本末転倒な状態です
金利だけを見て繰上返済を進めると
融資余地という将来の武器を自ら捨ててしまう可能性があることは、ぜひ知っておくべきことです
第5章:実際に筆者が考え、やらなかった繰上返済判断
ここからは、実際に住宅ローンの繰上返済を検討したものの
最終的に「やらなかった」判断プロセスを具体的な数字とともに紹介します
結論から言うと、筆者は1,000万円の繰上返済を検討しましたが
「利息削減額」よりも「手元資金の自由度」を優先し、実行しない選択をしました
検討のきっかけと前提条件
検討のきっかけは、「変動金利が上がり始めた今、今のうちに元本を減らした方が得なのではないか」という不安でした
具体的な前提条件は、借入額3,140万円・変動金利2.350%・残り返済期間25年という状況で、「1,000万円を一気に繰上返済したらどうなるか?」をシミュレーションしたことです。
繰上返済シミュレーションで見えた「メリット」
まず、1,000万円を期間短縮型で繰上返済した場合の利息削減効果をざっくり試算しました
変動金利2.350%・残り25年の条件では、1,000万円を前倒しで返すと
将来支払う利息を数百万円単位で圧縮できる計算となりました
「数字だけ見れば悪くない」と感じる結果でした
次に、金利が+0.5%上昇したケースも想定し
「今返しておけば、この上昇分の利息も避けられる」という安心感もありました
金利上昇局面では、繰上返済によって一部の返済を低い金利で確定できるため
「理屈としてはやった方がいいように見える」状況だったと思います
手元資金が減る「重さ」と流動性の低下
一方で、1,000万円を繰上返済に回すということは
その瞬間に手元資金が大きく減ることを意味します
当時、現金として約500万円
さらに中古アパート・民泊戸建ての大規模修繕の備えとして500万円を確保しており
合わせて約1,000万円が「事業と暮らしを守るバッファ」になっていました
もしこの1,000万円を住宅ローンに突っ込んでしまうと
- 突発的な修繕
- 税金や空室などの不測の事態
- 世帯の急な支出
に対応できる余力が一気に削られます
数字上は利息が減って得をしていても
「キャッシュが動かせない」という状態は、不動産を複数抱えている立場からすると
リスクが高いと判断しました
「金利の低下」より「資金の自由度」を優先
検討の結果、筆者が最終的に優先した判断基準は「とにかく利息を減らすこと」ではなく
「手元資金の自由度をどこまで残すか」でした
変動金利2~3%台であれば、投資や事業に回したときの期待利回りや
将来の大きな出費への備えと比較し
今ここで資金を住宅ローンに固定してしまうメリットは相対的に小さい
と考えた形です
そこで筆者が選んだ行動は、「繰上返済」ではなく「金利交渉」でした
銀行との交渉や条件の見直しによって、諸費用をほとんどかけずに
金利や返済条件の調整を試みることで、利息負担の圧縮と「資金の自由度の維持」の両立を狙いました
実際に感じたメリットとデメリット
実行して感じたメリットは、次のような点です
- 繰上返済手数料や借換え費用をかけずに済み、毎月の固定費だけを抑えられたこと
- 手元に約1,000万円の運用・備え資金を残せたことで
大規模修繕や想定外の支出が来ても、精神的な余裕をもって対応できていること
一方で、デメリットもゼロではありません
- 金利上昇局面では返済額がじわじわと増えていく可能性があり、
「このままどこまで上がるのか?」という心理的なストレスは常に付きまといます - 「今のうちにもっと返しておいた方がよかったのでは」と感じるタイミングもありますが
それでもキャッシュを固めないことの安心感の方が、現時点では上回っていると感じています
現時点での結論
こうした数字と心情の両面を踏まえ、現時点では
「資金を固定化しなかった判断は合理的だった」
と考えています
特に、複数の不動産を保有しているケースでは、「住宅ローンの利息削減額」だけでなく
「手元資金で守れるリスクの大きさ」まで含めて判断することが重要だと痛感しました
第6章:繰上返済で起きやすい失敗例と成功例
ここまでの内容を踏まえると、繰上返済そのものが問題なのではなく
判断の前提や視点を欠いたまま実行することがリスクになると分かります
実際に起こりやすい失敗例と、比較的うまくいきやすい成功例を整理しておきます
失敗例① 生活防衛資金まで繰上返済に回してしまう
「どうせ使わないお金だから」「残しておくと無駄だから」と考え、
現金を極限まで返済に充ててしまいます
結果として
収入減少や突発的支出が起きた瞬間に、資金繰りが一気に不安定になります
失敗例② 金利だけを見て全額返済した結果、融資余地が消える
ローン残高がゼロになることで心理的な安心感は得られますが
銀行評価上は「借入実績がなく、現金も少ない状態」になることがあります
その後、追加融資や再投資を考えた際に
想定以上に厳しい条件を提示されることも珍しくありません
失敗例③ 不動産や投資のチャンスを逃してしまう
市場が動いたときに動けるかどうかは
知識や判断力ではなく、最終的には現金の有無で決まります
繰上返済によって流動性を失い
「正しいと分かっていても参加できない」状況に陥るのは、典型的な失敗です
一方で、比較的リスクを抑えた成功例も存在します
成功例① 一部繰上返済で返済比率のみを調整した
ローン残高が3,000万円のうち200万円だけを一部繰上返済し
返済期間を短縮せずに返済比率(返済額/家賃収入)を改善するケースです
全額ではなく、あくまで必要最小限に留めることで
月々の返済負担を軽くしつつ、修繕費や空室対応のための手元資金を確保します
この方法は、心理的な安心感と実務的な柔軟性のバランスが取りやすい選択です
成功例② 現金を残した上で借換えに成功した
十分な現金(例えば500万円程度)を手元に残したまま
他行に借り換えることで金利を1.5%から0.9%に引き下げるケースです
繰上返済をせず、あるいは最小限に抑えたまま
金融機関との交渉や市場環境の変化をうまく利用して条件を改善します
流動性を維持しながら金利負担を下げられれば
結果として「保守的だが最適解」に近づきます
成功例③ 流動性を保ちつつ金利負担を下げた
これは繰上返済・借換え・金利交渉などを適切に組み合わせ
金利削減(1.2%→0.8%)を実現しながら運転資金も確保するケースです
金利だけでなく「資金の使いやすさ」や
「追加投資への柔軟性」を同時に守る戦略で
一見地味ですが長期的には安定しやすい選択と言えます
第7章:繰上返済を判断するためのチェックリスト
繰上返済を検討する際、感情や雰囲気で決めてしまうと、後悔につながりやすくなります
そこで判断のためのチェックリストを提示します
チェック① 手元現金は何か月分残るかを確認する
生活費やローン返済を含め、最低でも数か月
できれば半年以上の余力があるかが一つの目安になります
チェック② その現金が本当に余剰資金かどうかを見極める
「今は使う予定がない」だけで、将来も不要とは限りません
修繕費、教育費、事業資金など
使い道が想定できるお金は余剰ではありません
チェック③ 今後、融資を使う可能性があるか
不動産投資、借換え、事業拡大など、少しでも可能性があるなら
流動性を削る判断は慎重に行うべきです
チェック③ 金利以外の選択肢を検討したかを振り返る
借換え、金利交渉、返済条件の見直しなど
繰上返済以外にも負担を下げる方法は存在します
このチェックリストは、正解を出すためのものではありません
感情ではなく判断基準で考えるための補助線として活用できると思います
まとめ
繰上返済は、単純に「得か損か」で判断できるテーマではありません
本当の論点は、金利削減による安心感と流動性リスクの増大をどうバランスさせるか?にあります
ローンは、減らせば減らすほど良いものではなく
使える余力をどれだけ残せるかが戦略上の重要ポイントです
正解は人によって異なります
ただし、「深く考えずに繰上返済すること」だけは、共通して危険な判断と言えるでしょう

繰上返済を感情ではなく、ご紹介した考え方も一つの指標として、冷静に判断しながら健全な不動産投資の運用を進めていきましょう

